5月10日は母の日でしたね。

母の日って、自分が子供の時は、肩もみ券とかお茶碗洗う券とか作ってプレゼントしていたのを覚えています。

さて、自分が母親になってからは?

そもそも母親ですって胸張って言えるようなこと出来てるのかなと、悩むばかり。

自分なりには一生懸命やっているけれど、あれもやってあげなきゃいけないのに出来ていない。これもやってあげなきゃいけないのに出来ていない。。。と、気付けば自分に対して、マイナスな評価ばかり。

コロナ以来、小学生の我が家の子供たちはずっと家で過ごしているので、日々の家事に加え、学校から出された大量の課題を見て、そして姉妹喧嘩の仲裁をしながら、仕事をしなければならないこの2ヶ月間は、普段の倍のストレスがかかりながらも、家事も育児も仕事も思うように行かない日々。

どんな時でもその日のお茶碗を残して休むことがなかった母。

そして、結婚してからも、家に来た時は、お茶碗が溜まっているとさっと片付け、洗濯物もあっという間に畳んでしまうまるで魔法使いのような母。そんな母親と比べる必要もないのに、勝手に比べては私はまだまだ母親と言える立場ではないと、これまた意味のない謙遜をしてしまう。

だからこそ、母の日に母親として参加できるわけがないと思ってしまう。

なぜだか世の中の母親は、勝手に作り上げた完璧な理想の母親像と自分を比べ、自己評価を下げるのが大の得意。

そんな自己評価を下げた母親が母の日に最も欲しいのは、

 

ありがとうの言葉お金時間である。

 

こう書くと、夢も希望もなくなってしまいそうなのだが、母の日こそたくさんの承認の言葉をもらい、そして日々、無給で家事仕事をしている母親にお金を渡し、休暇をもらえることこそが、最大の自己評価をあげることに繋がると私は思う。

実はこれってどれもそんなに大変なことではないのである。

ありがとうの言葉は、言葉なのでもちろんお金はかからない。

できれば、普段母親のやっていることがどれだけ大変なことで、それを自分がやってみたら本当に大変だったということを盛り込んだ方がより伝わり易いと思う。

そのためには、母の日は母親に自由な時間をあげて、どこかに出かけてもらい、その間に家の家事を全て完璧に終えるのである。

そして、お金である。例えば、1万円をあげたとする。365日で割ると、1日あたり29円なのである。時給にすると3.6円。

全く高くない金額である。

いかがだろうか。

因みに、母の日私がどう過ごしたかと言うと、母の日を主張し外に出かけたが、コロナで行けるところもなく、結局近くのスーパーで、夜の家族会のための夕飯の買い物をし(この時、自分の母親とスーパーでばったり会う)、自分で自分にお花を買ったが、やっぱり母親にあげたのである。

 

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